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【訃報】与謝野馨氏 [徒然]

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自民党元衆院議員で、財務相や官房長官などを務めた与謝野馨(よさの・かおる)氏が
東京都内の病院で死去されました。78歳でした。

中曽根康弘 元首相の秘書を経て、1976年衆院選の旧東京1区で初当選され、通算10期務め、
2012年衆院選に出馬せず、政界を引退されました。祖父母は、歌人の与謝野鉄幹、晶子夫妻です。

政界きっての政策通で財政再建論者として知られ、1994年の村山内閣で文相として初入閣後、
党政調会長や重要閣僚を歴任され、第1次安倍改造内閣では官房長官を務め、麻生内閣では経済財政相と財務相、金融相を兼務されました。




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2009年衆院選で自民党が下野した後の10年4月、無所属の平沼赳夫 元経済産業相らと
「たちあがれ日本」を結党し、共同代表に就任。自民党を除名されました。11年1月には民主党の
菅直人首相(当時)の誘いを受け、たちあがれ日本を離党して入閣。経済財政相として、消費税率の
引き上げを柱とする社会保障・税一体改革に取り組みました。下咽頭がんの影響で発声が困難になったこともあり、12年衆院選への立候補を断念しました。自民党は与謝野氏の功績や地元の要望を考慮し、今年4月30日付で復党を認めました。



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いやはや、これぞ政治家という表現がふさわしいでしょうね。長年自民党に在籍され、様々な政治経験をされてきた与謝野氏は、それこそ自民党が下野してしまい、よほど悔しかったのでしょうね。
表面的には、下野した自民党を見限った、とも囁かれていたようですが、心底自民党を愛してこられたからこその行動だったんでしょうね。



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ある大臣経験のある政治家は、次のように語っています。

与謝野馨さんが亡くなった。一番驚いたのは(2009年に自民党が)野に下った時、党の運営に不満で離党した。「逆境の時にひどい」と話したが、「今のままじゃ政策は実現できない」と。その後、菅(直人)内閣の大臣になり、作ったのが「税と社会保障の一体改革」の原案だった。  結果的に彼が下絵を描いておいたので、野田(佳彦)さんはそれを取り上げて実現しようと。きれいごとだけではない、自民党が賛成に回ったら小沢(一郎)さんたちは必ず反対する、民主党はそこで分裂するから政権に戻るチャンスが出来ると(自民は考えた)。だから当選1回2回の人は、与謝野先生の下敷きのおかげで当選したってことだけは、忘れないように。色んなことを、彼との付き合いで懐かしく思い出す。


これも政局の知恵?なんでしょうかね。

ご冥福をお祈りします。




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